2018年6月 7日 (木)

リン・ラムジー監督の新作『ビューティフル・デイ』

少年は残酷な弓を射る』のリン・ラムジー監督の新作が公開されている。タイトルは『ビューティフル・デイ』。主演はホアキン・フェニックス、音楽は『少年は残酷な弓を射る』と同じくジョニー・グリーンウッド(レディオヘッド)だ。
 興味はあるが、これもスリラーとのことなので観るのが怖い気もする。そういえば『少年は……』は試写を観た後、あまりの衝撃にしばらくは立ち上がることもできなかった。独特の映像美を持った映画で、いまでもツイートされない日がないくらい多くのファンがいる。
 また、さすがに映画ほどたびたびではないけれど、拙訳の原作小説『少年は残酷な弓を射る(リンクはhontoへ)』の感想がネット上にアップされることもある。このとても長い小説を、海外の文芸作品がなかなか読まれないと言われる時代に、しかも映画の公開が終わって6年という月日が経っても、ちゃんと読んでくれる読者がいるのだ。ほんとうにありがたいことだ。

 

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少年は残酷な弓を射る 上』 少年は残酷な弓を射る 下 (リンクはAmazon.co.jp)

 映画と違い、原作の小説は主人公エヴァが夫に手紙を書くという形で物語が進行する。彼女はどうして夫に手紙を書くのか? しかも、まるで家でおしゃべりするような調子で近所の人の悪口を言ったり、息子ケヴィンとのやりとりを報告したりしているのに、どうしてそれをわざわざ書かなければならないのか? どうやら夫は家にいないらしい。ケヴィンが取り返しのつかない事件を起こしてエヴァが苦悶している時になぜ?
 そうした謎の真相が、物語の最後の最後になって明かされる。
 この本が出たころ、「厭ミス」とか「厭な本」というのがしばらく流行った時期があったが、『少年は残酷な弓を射る』の主人公であり語り手であるエヴァは理屈っぽくて皮肉屋の「厭な女」だ。同時に、とても寂しい女でもある。訳す際には、そうした寂しい厭な女にどんな口調で語らせるか、彼女の語り口を日本語で作っていくのに一番苦労した。

 

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2009年5月 2日 (土)

『花笠若衆』

『花笠若衆』

 というわけで、さっそく見てきた。「東映・時代劇まつり」。(情報はこちらで→ http://t-joy.net/jidaigeki/
 いやあ、楽しかった!
 映画がはじまると、まず画面に「総天然色」という巨大な文字。そうか、この映画がつくられた1958年当時は「テクニカラー」だったんだ。バックに流れる音楽は、美空ひばりの「お祭りマンボ」~祭りだ祭りだ、わっしょい、わっしょい~。
 吉原の花魁道中がしずしずと進む中、いかにも悪役といった侍が言いがかりをつけて、町娘に乱暴をはたらこうとする。そこへ、若衆姿のひばりが登場。刀をふりまわす侍たちに対して、ひばりは傘を使っての立ち回り。どこぞの若様といった風情の若侍の助太刀もあって、みごと、悪い侍を追い払う。
 場面は変わって、ひばりの育ての親である江戸の侠客吉兵衛の家。吉兵衛を実の父と信ずるひばりは、日課である将棋の相手をする。その表情がなんともキュートだ。
 最後に、吉兵衛を殺されたひばりが、お姫様の姿で(ほんとうは双子のお姫様の片割れだったのだ!)、但馬のお城に乗り込む。お世継ぎ発表が行なわれている大広間に姿を現わすや、かんざしを投げ捨て、お姫様の衣裳を引き抜いたかと思うと、あでやかな若衆姿に。ちゃんちゃんばらばらのすえに、悪人たちをやっつける。
 お城に同道した若侍にひそかに思いを寄せていたひばりだったが、当の若侍はお城のお姫様である姉(ひばりの二役)の婚約者。ひばりは身を引いて江戸に帰って行く。
 秋が来て、神田祭りの山車の上で、ひばりが秋空をバックに祭りの太鼓を打ち鳴らすところで、映画は完。
 ああ、これぞ、エンターテインメント。めんどうなことは何もかも忘れて、見入ってしまった。かつて日本にも、映画がこんなふうにワクワクするものだった時代があったんだ。
 ちょっと寂しい客席が残念で、もっとたくさんの人に見てほしいと思った。テレビでもときどきやっているようだが、劇場での上映はスケール感がまるでちがう。こうなったら、次の作品も、ぜったい見にこなくては(笑)。

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2006年10月 4日 (水)

『書く女』

『書く女』

 二兎社の『書く女』を見てきました。二兎社を主宰する永井愛さんの作・演出で、樋口一葉のことを描いたお芝居です。
 主役の寺島しのぶさんがよかったです! 恋心や日常の観察を語っていたのが、次第に熱をおびて物語のすじを語り出し、呵々大笑したかと思うと、がばと机にとりついて書きはじめる。そういう芝居に、物を書く人の狂気というか、業のようなものが出ていました。
 大きな荷物を背負って、舞台中央の階段をひょこひょことかけあがっていくところも、寺島・一葉だなあ、と思いました。ときどき、チラリと見える足袋とけだし(なのか、それとも着物の裏地なのか)の赤がなまめかしく……。
 総じて女優陣が魅力的な芝居でしたが、男性の登場人物とのからみでは、後半、評論家の斉藤緑雨が家を訪ねてくるところが、おもしろい。
 一見難癖をつけにきたような緑雨の質問に、のらりくらりと答えていた一葉が、ふっと顔を近づけ、声を落として「あなたとは、ちかしいものを感じますよ」と言う。
 一葉の恋愛にはそんなに心を動かされなかったけれど、物書きとして、人間として、同類の二人が、それを確認しあったこの場面は、ぐっときました。この芝居のテーマは、一葉と師との恋愛なんですけどね。私がそういう観客なのか、永井さんがそういう書き手なのか(笑)。
 公演についての情報は、二兎社のホームページで見られます。チラシにもなっている寺島さんの写真が、なかなかですよ。本に囲まれて机の前にすわって、眉間にしわを寄せているというもので、この女性は樋口一葉なのか、永井愛さんなのか、と考えるのも楽しいです。

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2006年4月27日 (木)

『演劇都市ベルリン』

『演劇都市ベルリン』

 前回お話しした『アルトゥロ・ウィの興隆』や、ベルリナー・アンサンブルについては、おもしろい本が出ています。新野守広さんという方が書かれた『演劇都市ベルリン~舞台表現の新しい姿』です。
Photo_3  ベルリンというきわめて政治的な都市の、さまざまな劇場とそこで行なわれてきた公演、そして1970年代から今日にいたるまでの演劇人の動きが、手にとるようにわかります。また著者は「新しいベルリンと心の壁」という章で、文学作品を紹介することによって、旧東ドイツの知識人たちの苦悩をたどるという試みをしています。
 個人的には、以前に公演したこともある「フォルクス・ビューネ(けっして大きくはないけれどいい小屋でした)」の章もあったりしてうれしい。いま、ゆっくりと読んでいるところです。(画像をクリックすると、本の情報ページが開きます。)
 すこし前のNHKのニュース番組で、旧東ドイツの国会議事堂が取り壊されるというような話題をとりあげていました(調べがつかないのではっきりしない内容ですみません)。ここに劇場があって、「旧東ドイツ内の数少ない文化の発信地の一つだった」が、これも取り壊されるという内容でした。
 でも、この本を読むと、自由な活動だったかどうかは別として、旧東ドイツの文化活動がそんなに貧しいものだったとは思えないんですけどね。むしろ、東京などおよびもつかないような、先鋭的な舞台活動が行なわれていたように思えます。NHKは、勉強不足なんじゃないかなあ。
 とはいえ、私自身も、何も知らなかったなと思いました。私がベルリンに行ったときに、この本に書かれていたようなことがわかっていたら、もっとよかったのですが。


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2006年4月25日 (火)

『アルトゥロ・ウィの興隆』

『アルトゥロ・ウィの興隆』

 昨年、新国立劇場の海外招待作品NO.4として『アルトゥロ・ウィの興隆』が上映されました。ブレヒト作、ハイナー・ミュラー演出。出演はドイツのベルリナー・アンサンブル。(画像をクリックすると公演情報が見られます。)
Bill267  ベルリナー・アンサンブルといえば、ブレヒトが結成した劇団で、その劇団の常打ち小屋の名前でもあります。

 私は、前回ベルリンを訪れたときに、ここで『肝っ玉おっ母とその子供たち』を観ました。
 また、そのあと足をのばしたパリでも、コメディー・フランセーズに入ったら、”La Vie de Galilée”をやっていたのです。いま思うと、これもブレヒトが書いた『ガリレイの生涯』だったのですね(フランス語だったので、当時はよくわかりませんでした-笑-)。
 そのくらい、ブレヒトとベルリナー・アンサンブルにはご縁を感じていました(おお、なんと日本的!)ので、この日本公演もさっそく観にいきました。
 いや、おもしろかったです。とくに、主演のマルティン・ヴトケの演技は、評判どおりの迫力。ところが、お芝居のとちゅうで、唖然の展開が。警官役の男優が、突然、洋服を脱ぎはじめたのです。ほかの出演者たちが手拍子を打つなか、どんどん脱いでいって、最後にはうすいナイロンの肌着だけの姿に。
 どうですか? 子ども向けの作品に、ああいう話が出てくるのも、なんとなくわかるでしょう?
 このお芝居では、劇場に入るといきなり、ロビーに組んだ櫓(やぐら)の上で、役者がヒトラーの演説を再現しているのに出くわします。この演説といい、ストリップ場面といい、日本人にはちょっと考えられない演出でした。Sachlich(即物的)というのか、なんというのか、日本ではアングラの芝居でも、もっと情感がある感じですよね。
 このちがいがおもしろいのだとは思うのですが……。

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2005年12月 1日 (木)

2匹のエリック

2匹のエリック

 私が以前に訳した本のなかに『名犬? エリックのおかしな冒険』『名犬? エリックのゆかいな冒険』というのがあります。このシリーズは、じつはテレビドラマのノベライゼーションで、原作はまた別にあるというちょっとややこしい関係。それは別として、日本では放送されたことのないこのテレビドラマを見たことがあるという方が! この方のブログによると、見たのがイタリアだったので、登場人物たちはすべてイタリア語の吹き替えでしゃべっていたそうです。そして、自動車レースのシーンのエリックがかわいかったと書いてありました。
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『名犬? エリックのおかしな冒険』のなかの、エリックと親友のロイ。

 ロイは本のなかでは、かなりの"こまったちゃん"に描かれていて、私はこの子が大好きでした。
『名犬? エリックのおかしな冒険』の情報と注文

 私も、『ゆかいな冒険』のほうを訳すときに、苦労してヴィデオを手に入れたのですが、このブログを読んで、どうしても『おかしな冒険』のほうが見たくなり、さっそくアメリカから中古のヴィデオを取り寄せました(翻訳当時とくらべて、なんと便利になったこと! 当時は、通信といえばパソコン通信で、「インターネット」はかろうじて一部で使われはじめたところでした)。
 残念ながら、ヴィデオは全編ではないらしく、レースの場面はなし。でも、おもしろいことに気づきました。『ゆかいな』と『おかしな』では、エリック役を演じているのが別人、じゃなくて別の犬なのです。『ゆかいな』のPippinという犬のほうが、『おかしな』のTichよりずっとかわいい。申し訳なさそうに上目づかいでこちらを見るところなど、思わず笑ってしまうようなかわいさです。お芝居だって、この犬のほうがずっと上手。
 唯一の難点は、ワンワンとつづけて吠えるときに、1回目と2回目の間(ま)があきすぎること。いってみれば、台詞の間が悪いんですね(笑い)。このお話では、ワンと吠えたのか、ワンワンと吠えたのかが大きな意味をもっているから、それで役をおろされちゃったのかしら?
 このお話、とってもおもしろいので、日本でもどこかのテレビ局でやってくれればいいと思いますが、ヴィデオは上映時間が82分もあってちょっと間のびする感じ。でも、テレビ放送は、一本まるまる
つづけてではなく、何回かに分けてやるのでしょう。日本でも放送してくれれば、かわいかったという自動車レースの場面が見られるのですが。
ericvideo2 上のほうに挿入した写真がPippin演ずるエリックです。

  左が『名犬? エリックのゆかいな冒険』に出ているTichのほうのエリック。
 こちらは、競演の(?)セーラ・スマートという子(レイチェル役)が、とってもキュートでした。この人は、のちに青春ものの映画やテレビにたくさん出演したようです。
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右が、人間のときの
 エリックとレイチェルです。

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2005年7月16日 (土)

スター・ウォーズをみにいった

スター・ウォーズをみにいった

  封切り一週間目の『スター・ウォーズ エピソード3』をみにいった。
 評判どおり、悲しい映画だった。こういうジャンルで、これだけ悲しい気持ちにさせるなんて、すごい。しかも、こんなに深い悲しみを感じさせるなんて。これをみたら、もう一度、エピソード4から(いや、こんどはエピソード1から?)おさらいしなきゃという気がしてきた。うまくできてるなあ。でも、それだけの構想をもって撮りつづけたというのもすごい。
 ところで、真ん中あたりで『最後の宝』で訳に迷った言葉が出てきて、ギョッ! そこだけ、英語でしゃべってる台詞と字幕が、頭の中でみょうにシンクロして。あれは誤訳だったのかなあ。そう思いはじめたら、数十秒間、画面から意識が遊離してしまった。なんて、因果な商売だ。おちおち映画もみにいけやしない。いや、いや、こんなことやってるから大物翻訳家になれないんだ、物語の流れに合ってればいいじゃないか、と自分をなぐさめたけど。でも、やっぱり気になるなあ。

  9日にアメリカに注文した本のうち、used のほうが到着。早い!
 でも、これ、図書館のいわゆる除籍放出書籍。たしかに、本の状態の説明に "Withdrawn library edition" と書いてあったけど、こういうことだったのか。日本でこういうの、売るかなあ。でも、考えてみたら、新本では手に入らないわけだから、資料としてさがしている者にはこういうのが出まわっているのはありがたいことなのかもしれない。

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