2009年1月24日 (土)

Air and Simple Gifts -「簡素な贈り物」ふたたび-

Air and Simple Gifts -「簡素な贈り物」ふたたび-

 以前、私が翻訳した『最後の宝 』という本の中に、「簡素な贈り物」という歌が出てきた。原題は"Simple Gifts"。
 この曲がいま、ちょっとした脚光を浴びている。アメリカのオバマ新大統領の就任式で、"Air and Simple Gifts"という四重奏曲に編曲されて演奏されたのだ。
 下の動画で実際に聞いていただけばわかるが、曲の後半が"Simple Gifts"のメロディー。前半はまずイツァーク・パールマンがバイオリンでメローディーを奏で、やがてヨーヨー・マのチェロが加わり(なんという豪華な演奏者陣!)、アンソニー・マギルのクラリネット・ソロになったところで、いよいよここからが"Simple Gifts"。ガブリエラ・モンテロのピアノも本格的に入って四重奏に、という構成だ。



  「簡素な贈り物」は以前にも書いたように(当時の6回の記事はこちら、元々はキリスト教シェイカー派の讃美歌だったものが、さまざまな形で演奏され、歌われるようになったもの。広く知られるようになったきっかけとして、マーサ・グラハムが振り付けたモダン・ダンス「アパラチアの春」の音楽に使われたこともあげられる。
 じつは私はいま、アパラチア山中の小さな町を舞台にした物語を翻訳していて、この地域はとても気になる。
 ここはきびしい地形的条件のために、ずっとほかの地域から孤立してきた。石炭産業が盛んだったころは、一大炭田地帯として国の発展を支えたが、炭坑で働く人たちは山陰や谷間に粗末な小屋を建ててそこで暮らした。「ホーラー(窪地や谷間をさすこの地方の方言)」は、貧困の象徴だったという。
 こうしたことや、歌詞を考えると、この曲が連想させるものは、けっして明るく楽しいものばかりではない。むしろ、真の幸福にたどりつくには、きびしい生活や困難を乗り越えなければ、と示唆しているようにも思える。今回の大統領就任式に選ばれたのは、そうした連想からだろうか。
 とはいえ、これだけ広く演奏されてきたということは、アメリカ人の心の奥底にある何かにふれる音楽なのだろう。日本人である私が聞いても、どこかなつかしい気がするのは不思議だ。

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2006年7月10日 (月)

私版"タインマス"

私版"タインマス"

Photo_4  先月、半年ぶりに帰郷しました。そのとき、バスの窓から撮った写真がこれ。
 こうして写真にしてみるとそうでもありませんが、半年前に実物を見たときはギョッとしました。ちょうど季節は、クリスマスのすこし前。私の目には、この化学工場が『クリスマスの幽霊』に描かれた世界そのままに見えて……。
 というより、自分がそういう町で育ったのを、忘れていたことに驚いたのかもしれません。思えば、私が育った町は名だたる工場地帯でした。お祭りといえば、一番大きな製鉄所の起業祭。これにはサーカスがいくつもやってきました。
 そして毎夜、子どもが眠るころ、真っ暗な町の空に鳴りわたるサイレンの音。私はその恐ろしい音でしょっちゅう目をさましました。サイレンの音が、夜の工場にとじこめられた老人のうめき声に思えたのです。長い真っ白な髪と髭をした、悪霊のような老人……。
 そう、『クリスマスの幽霊』に出てくるオットーそのものです。オットーが登場する物語部分が私の担当ではなかったとはいえ、どうして訳している最中に思い出さなかったのでしょう。
 私にとってのこの町は、ウェストールにとってのタインマスでした。でも、ウェストールが故郷タインマスとそこにある工場を我がものと感じていたのに対して、私はよそ者だった……。とうとうその方言さえ完全に自分のものにはしないまま、遠く離れてしまった故郷のことを思うとき、なつかしさと同時になにかザラザラした思いがこみあげてきます。 
 工場については、弟も『クリスマスの幽霊』を紹介したブログに、書いています。よろしかったらごらんください。

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2006年2月20日 (月)

ポエトリー・アーカイブ

ポエトリー・アーカイブ

 大学時代の友人で、新聞の記者をやっているY.S.さんが紙面で「ポエトリー・アーカイブ」を紹介(毎日新聞記事)。簡単に言うと、詩人自身の声で朗読された詩を聞くことができるサイトです。
 ギンズバーグや、古いところではなんとテニソン(1892年没)の朗読もおさめられていますが、私がいそいそとこのサイトにアクセスしたのは、ブラウニングの朗読が聞けないだろうかと思って、でした。
 ロバート・ブラウニング、1889年没。『クリスマスの幽霊』のなかに、ウェストールが彼の詩、「彼らはいかにしてよきしらせをゲントからエックスにもたらしたか」に言及した部分があって、注をつけるのに苦労したからです。
 この詩は、
ベルギーのゲントを発った三人の使者が、つぎつぎに馬を乗りつぶしながら、南仏のエックスにたどりつき、よきしらせをもたらす、という内容です。訳注では、「よきしらせ」というのが何のしらせなのかを書きたかったのですが、いくら調べても出てこない。当然、詩そのものもなんども読みましたが、やっぱり書いてない。
 困っていたところ、ネット上に、同じ疑問をもって調べた人の文章が出ていました。その人は、いろいろと文献を調べた結果、「ブラウニングが書きたかったのは、馬が駆けるリズムそのもの。史実を伝えようという意図はない」とわかったというのです。つまり「よきしらせ」は、このリズムを出すための方便、なんでもいい、というわけです。そ、そんなあ!
 でも、詩って、そういうものかもしれませんね。妙に納得したのでしたが、アーサー・シモンズという人が書いた『ブラウニング詩作品研究への手引き(松浦美智子訳)』によると、「よきしらせ」は暗に「ゲントの講和のそれを意図」しているとのこと。詩が書かれた年代から推測すると、1814年、"第2次英米戦争"を終結させた「ガン(ゲントの別読み)条約」のことみたいです。
 へええ、"第2次英米戦争"なんてものがあったんですね。またまた、
(こんどは自分の無知に対して)びっくり! ヨーロッパでナポレオンに対する戦争がつづいているあいだに、海上貿易と先住民族追い出しにからんで、アメリカがイギリスに対して起こした戦争だそうです。
 そして、この本の著者は書いています。「私が思うに、この最も感動させるバラードを、息もつかせぬ感情を持って読んだことのない少年は、ほとんどいないだろう。」これはとてもよくわかりました。馬の駆けるスピード感、つぎつぎに馬と使者が力尽きてゆく緊迫感、そしてヒロイズム。いつか、この詩の朗読を聞けたら。そのとき、私はそう思ったのでした。
 それが、詩人本人の声で聞けるなんて! そう、たしかに聞けました。ところが……またまた、詩人の肩すかしをくうことになったのですが、それを書いてしまうのも無粋な話なので、
どうぞご自分で「ポエトリー・アーカイブ」をのぞいてみてくださいませ。ブラウニングの朗読は、右の方にある索引の「B」をクリックすると出てきます。どうやら、インターネット・エクスプローラでないと音が出ないみたいですが。(←これは私の勘ちがいみたいです。FireFoxをご使用の方はコメントのやりとりをご覧ください。)
 The Children's Archive も、とてもいいです!

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