2005年10月 3日 (月)

「簡素な贈り物」その6(最終回)

「簡素な贈り物」その6(最終回)

「簡素な贈り物」の3回目に、私が最初、シェーカー派クェーカー派の別名と勘違いしていたと書きましたが、どうやらこの勘違いはよくあるようです。それがわかったのは、 1 day 1book のさかなさんに教えていただいた『知って役立つ キリスト教大研究』のおかげでした。この本によると、【…しばしばクエーカーと混同されるものに「シェイカー(Shaker)」がある。シェイキング・クエーカーズという、ラディカルなクエーカー分派に属した女性アン・リー(Ann Lee 1736-84)が英国のマンチェスターで創設したものだ。アメリカのメイン州に最後の共同体があるが、現在ではほぼ全滅に近い。】ということです。
 ランダムハウスのShakerに関する説明、【シェーカー教徒:千年期教会(Millennial Church)に属する信者;18世紀中期に英国のクェーカー派から起こり,1774年米国に渡った;独身生活・財産の共有と厳格で質素な生活が信条;礼拝のとき,体を振って踊るところからこの名がついた.】と比べると、ちがいからまちがえやすいことまで、ものすごくはっきりわかりますよね。
kirisutokyokennkyu このように、『知って役立つ キリスト教大研究』という本、翻訳をするときにはとても参考になりそうです。著者の八木谷涼子さんはAmazonの本の紹介に…この本のテーマはキリスト教の主要教派の皮相的な違いと、それぞれの用語についてです。徹頭徹尾「外から見た姿」をプラクティカルに描くことにこだわったので、思想的・信仰的な切り口からキリスト教を理解したいという方には、物足りなく思われるでしょう。と、やや控え目に書いていらっしゃいます。でも、「皮相的な違いと、それぞれの用語」って、翻訳するときには一番に知りたいことなんですよね。

↑『知って役立つ キリスト教大研究』の情報を見るには、画像をクリックしてください。購入もできます。ブログから直接、書籍・商品の紹介ページにジャンプできるようにしました(11月19日)。
※ホームページ(t-mitsunoのページ)内に、このブログやホームページでご紹介した書籍や商品の情報を集めたページをつくりましたので、ご活用ください。紹介した書籍や商品のページへ。

(この回で「簡素な贈り物」については終わりとします。9月16日からはじめたのですが、なんと6回にわたる連載になりました。)

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2005年9月29日 (木)

「簡素な贈り物」その5(全6回)

「簡素な贈り物」その5 (全6回)

「簡素な贈り物」、つまり"Simple Gifts"のメロディーがひろまったもう一つのきっかけは、シドニー・カーターという人が1963年に別の歌詞をつけて"Lord of the Dance"というタイトルで発表したことでした。"I danced in the morning / when the world was begun,"という歌詞ではじまるこの歌も賛美歌で、多くの教派で歌われているようです。"I"というのはキリストのことで、踊りをリードする人にキリストをなぞらえたもの。前回、カバー作品のことを書きましたが、こちらの歌詞のカバーも多いようです。こちらのサイトでは、ロック風にアレンジされた"Lord of the Dance"を聞くことができます(ページのずっと下のほうにCD紹介があり、その曲のリストから)。
 近年、話題になったのは、このメロディーをつかったアイリッシュ・ダンス・ショーです。マイケル・フラットレーの"Lord of the Dance"=「ロード・オブ・ザ・ダンス」。日本にも来ましたので、ご存じの方も多いかと思います。こちらをクリックすると、このショーの公式サイトが別枠で開きます。ただし、いきなり音楽(まさにSimple Gifts のメロディーです)がはじまりますので注意! 止めるときはページをとじてください。
 もう一つ、今年も来日した「ブラスト!("Blast!")」というショーも、この曲をとりあげています。こちらはSimple Gifts の元の歌詞をシンプルなアレンジで歌ったもの。最初にご紹介した演奏はじつはこのショーの音楽です。今年の公演は終わりましたが、このところ毎年来日してかなりの公演数をこなしているようなので、来年も期待できるかもしれませんね。

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2005年9月26日 (月)

「簡素な贈り物」その4 (全6回)

「簡素な贈り物」 その4(全6回)

『クリスマスの幽霊』発売で中断していましたが、ふたたび「簡素な贈り物」について。
 前回は「簡素な贈り物」のことをシェーカー派の賛美歌と書きました。たしかにこの曲は、1848年、シェーカーの長老ジョゼフ・ブラケットという人が作詞作曲したものです。シェーカー派という宗派では男女が別々に住み、禁欲的な生活を送っていたようです。簡素な集団生活のなかで、礼拝のときだけは男女が同席し、踊りや歌がはじまることも。そうしたときに、動きの速い踊りに合わせて歌われたのがこの歌のようです。おそらく"Simple Gifts"という歌の題も、「簡素な贈り物」と訳すより、「簡素であることの幸せ(歌集の題)」のほうが、意味としては近かったのでしょう。
 ところが、ネットで検索してみると、いまやこの歌はシェーカー派の賛美歌というだけではくくりきれなくなっていることがわかります。オーケストラが演奏したり、合唱団が歌ったり、それだけでなく、レーガン大統領とクリントン大統領の就任式のときはオペラ歌手が歌ったり。カバーする歌手やバンドは数え切れないほどで、CDによっては、この曲のことを「アメリカ民謡」と書いています。「民謡」というのは誤解の多い表現ですが、スティーヴン・フォスターのことを「アメリカ民謡の父」と呼んだりするくらいですから、要するに「非常にポピュラーなアメリカの歌」という意味なのでしょう。そして、いまの日本では、なんと携帯の着メロとしても使われているのです。
 シェーカー派の賛美歌だったものが、こんなふうに全米にひろがり、全世界的に親しまれる曲になったきっかけは、コープランドという作曲家がバレエ音楽としてとりあげたことでした。この「バレエ音楽」という表現にも語弊があるのですが、マーサ・グラハム舞踊団の作品のために書かれたものなので、正確に言うと「モダンダンスのための音楽」です。マーサ・グラハムといえば、アメリカのモダンダンスの草創期を代表する舞踊家です。彼女の舞踊団の作品のために、コープランドが音楽をつくり(1943年から44年にかけて)、この作品にマーサが「アパラチアの春」という印象的なタイトルをつけたことから、このメロディーも爆発的に人々のあいだにひろまったとか。
 日本でも石井漠や伊藤道郎といった舞踊家が活躍したころ(1910年代~20年代。大正時代。ずいぶん早かったんですね。イサドラ・ダンカンと同時代?)は、モダンダンスがいまとはくらべものにならないほど一般人のあいだで親しまれていたようです。作曲家、山田耕筰も彼らの舞踊活動に深く関わっていたようですし。ただ、この曲のように、モダンダンスの音楽から国民的音楽になったという例は、日本では聞きません。やはり、とてもアメリカ的な現象に思えます。おもしろいですね。 

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2005年9月19日 (月)

「簡素な贈り物」 その3(全6回)

「簡素な贈り物」 その3(全6回)

 昨日書きました「簡素な贈り物」の別訳では、くりかえし部分を「(身をかがめること、頭をさげることも、恥でなくなる。)考えをあらためること、くりかえしあらためることも、喜びとなる。あらため、あらためて、正しい場所にたどりつくまで。」と訳しました。これなら「くるり、くるりと、まわれば楽し。まわり、まわれば、正しい場所に。」という訳より、宗教的な意味がはっきりとわかりますね。そして、この意味がわかると、なぜ『最後の宝』の作者がこの歌詞を謝辞に引用したかが理解できるような気がします。
  謝辞では歌詞の直前にこういう文章があります。(編集者の)スーザン・ヴァン・ミーターは……根気強く何度でも、スミス家はほんとうはこんなふうに描くべきなのではないかと意見をいい、苦言をていしてくれました。その一つ一つのおかげでこの本はよりよいものとなりました。「謝辞」ということですこし形式ばった訳にしましたが、原文はもっとシンプルかつ率直で"…her patience in pointing me again and again in the direction the Smiths needed to go.  Everything she did made this a better book." です。
 私はこの文章を読むと、いろんなことがいちどきに頭に浮かんできます。いっぱい赤が入ってもどってきたであろう原稿だとか、作者がそれを見て最初はカーっときたんじゃないかとか、でも冷静になって見なおしたらもっともな提案がいっぱい書いてあって、ありがたくそれをとりいれたんじゃないかとか……そう思うと、ニヤニヤせずにはいられません。翻訳者と編集者のあいだにも同じようなやりとりがあるからです。そして「くりかえしあらためることも、喜びとなる。」という心境にたどりついた作者の気持ちがとてもよくわかる気がするのです。
 作者がこの歌詞を引用した理由は、これでわかっていただけたのではないかと思います。ただ、私は最初「シェーカー派」を「クエーカー派」の別名と勘違いしていたこともあり、クエーカーである作者がどうしてわざわざシェーカー派の賛美歌を引用したのかが依然として気になっていました。そして、調べをすすめてみると……

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2005年9月18日 (日)

「簡素な贈り物」その2(全6回) 別の角度から歌詞を訳すと

「簡素な贈り物」その2(全6回)
 別の角度から歌詞を訳すと

 訳の話に入る前に、まずSimple Giftsの英語の歌詞の一番を全部ご紹介しましょう。(何度か出てくる" 'tis" は "it is"を省略したものです。)
  'Tis the gift to be simple,
  'tis the gift to be free,
  'tis the gift to come down where you ought to be,
   And when we find ourselves in the place just
right,
  It will be in the valley of love and delight.
 Refrain:
   When true simplicity is gained,
  To bow and to bend we shan't be ashamed.
  To turn, turn will be our delight,
  'Til by turning, turning we come round right

 最後の2行が引用部分ですね。 では、これを頭から訳してみましょうか。まず前半は――
  簡素であることは、天から与えられた幸福。
  自由であることは、天から与えられた幸福。
  自分の居場所におもむくことができるのは、天から与
 
 えられた幸福。
  自分にほんとうにふさわしい場所に落ちついたとき、
  そこは愛と喜びの谷になる。

 ここでは "the gift" は、「贈り物=プレゼントする品物」というより「神さまから与えられたもの」、「究極の幸福」ととったほうがいいでしょう。神さまからの贈り物という意味では、まさにプレゼントなのですが。この流れで、このあとのくりかえし部分を訳してみましょう。
  真の簡素さを身につけることができたとき、
  身をかがめること、頭をさげることも、恥でなくなる。
  考えをあらためること、くりかえしあらためることも、
 喜びとなる。
  あらため、あらためて、正しい場所にたどりつくまで。

 上の歌詞の後半が、『最後の宝』謝辞の引用部分です。本にのせた訳をもう一度見ますと――
  くるり、くるりと、
  まわれば、楽し。
  まわり、まわれば、
  正しい場所に。

 比べてみると、ずいぶんちがいますね。"turn" というさまざまな意味にとれる動詞だからこそ、こういう二重の意味をこめることができたのでしょうね。リズムのおもしろさと、意味のおもしろさを一つの言葉で出すことのできる、歌詞の魔法と言ってもいいかもしれません。もっとも、翻訳者としては、どちらの訳をとるかでずいぶん悩まされたのですが(笑)……
 では、「簡素な贈り物」をこんどは最初から聞いていただきましょう。♪「簡素な贈り物」再生♪♪

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2005年9月16日 (金)

「簡素な贈り物」 その1(全6回)

「簡素な贈り物」 その1(全6回)

『最後の宝』の謝辞には「簡素な贈り物」という歌詞の一部が引用されています。引用部分だけを書き出してみますと
    *  *  *  *  *  *  *  *  *  *   
  くるり、くるりと、
  まわれば、楽し。
  まわり、まわれば、
  正しい場所に。

  To turn, turn will be our delight,
  'Til by turning, turning we come round right

    *  *  *  *  *  *  *  *  *  *
 
 どうです、なかなか印象深い歌詞でしょう? 原題は "Simple Gifts" 。どんなメロディーの曲なのでしょうか。ここで、その一部を聞いていただきましょう。引用は「くりかえし」にあたる部分ですので、音楽はそこからスタートするようにしてあります。♪「簡素な贈り物」再生♪♪

 私がこれを訳したときに考えたのは、なにはともあれ歌詞らしいリズミカルな訳文にしたいということでした。それに関しては、ある程度まで実現できたのではないかと思います。ところが、調べてみると、それだけではすまされない、さまざまなエピソードがこの曲にはあったのです。
 まずは、曲名。本では「簡素な贈り物」としましたが、これ以外に「ささやかな贈り物」、「素朴な贈り物」という邦題もつかわれているようです。でも、歌詞をくわしく見てみると、こうした邦題では正しい意味が伝わらないのではないかという疑問も。
 また、この歌は最初 "The Gift  to be Simple : Shaker Rituals and Songs" という歌の本のなかで発表されたそうです。そう、謝辞にも書いてありますが、これはシェーカー派の人たちが歌った歌なのです。でも、『最後の宝』はクエーカーの一族の物語。作者自身もクエーカー教徒です。それなのに、どうしてわざわざシェーカー派の歌を謝辞に引用したりしたのでしょうか……

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