2013年1月 1日 (火)
謹賀新年
長かったような、あっという間だったような、一年が終わり、また新しい年がやってきました。
昨年は、急遽邦訳出版が決まった『少年は残酷な弓を射る』の飜訳に、前半かかりきりになりました。おかげさまでこの本は昨年中に二回重版が出ました。
今年も新たな挑戦をしたいと思っております。
みなさまにとりましても、よい年になりますように!

2013年 巳年 元旦
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2012年1月 1日 (日)
謹賀新年
災害で明け暮れた年が終わり、新しい年がやってきました。3.11からこっち、長かったです。色んなことがありました。
年があらたまったからといって、何も変わるわけではないけれど、今年こそ平和な年であってほしい。ほんとうにそう思います。
2012年が、みなさまにとってよい年でありますように!
2012年 辰年 元旦
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2011年3月16日 (水)
いま文学者ができること
金曜日に東日本大震災が起き、いままでにない恐ろしい揺れを体験してから5日間。
都内にある我が家は、本棚から本が落ち、たくさんの窓が勝手に開いてしまうといった程度の被害で済んだ。一時連絡が取れなくなった家族も、夜になって無事に帰宅した。
だが、被災地の惨状には言葉もない。
原発事故の行方も不安だ。昨夜あたりから、また余震が増えてきた気もする。被災はしていないけれど、停電情報と物不足にふりまわされ、無力感に押しつぶされそう……。
そこで、電気を使って申し訳ないけれど、思い切ってCDをかけてみたら、魔法のように気持ちが明るくなった。やっぱり音楽の力はすごいと思った。
こんな時、文学はいったい何ができるのだろうか?
そう思っていたら、被災地にいる出版関係者、さかなさんが自らのブログ1day1bookで、アメリカの文学者のメッセージを紹介してくれた。『ゲド戦記』の作者アーシュラ・ル=グィンが日本の読者に宛てて書いたもので、ル・グィンの作品の翻訳者でもある谷垣暁美さんが翻訳している。アクセスできる方には、ぜひご自分で読んでみていただきたいので、とりいそぎアップした次第。
作家の絲山秋子さんも3月14日の日記に書いているが、文学に関係した仕事をしている者は、被災地を思って悲しみ、祈りながら、一方では黙々と自分の仕事を続けていくしかないのかもしれない。ル・グウィンのメッセージを読んでも、同じことを思った。そのことによって直接災害復旧に貢献できるわけではけっしてないし、だからこそみな無力感にさいなまれているのだが。
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2011年1月 1日 (土)
新しい年の始め
新しい年の幕が開きました。過ぎていった一年はあっというまだった気もしますし、逆にとても長かったような気も。
私は4月から大学で教え始め、新しいことをたくさん体験しました。大学の授業と翻訳の仕事、それから老いが目立つ親のこと……いくら時間があっても足りない一年でした。
このブログもなかなか更新できず、ご心配をおかけしたかと思います。
2010年 元旦
今年はどんなできごとが待っているのでしょうか。
皆様にとりまして、すばらしい年となりますように!
私はたくさん仕事をしたいと思います。
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2010年1月 1日 (金)
謹賀新年!
あけまして、おめでとうございます。
2010年が、みなさんにとって
よい年になりますように!
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2006年8月12日 (土)
雷、こわい!
先ほど、この夏二度目のモーレツな雷雨がありました。大急ぎで洗濯物を入れて、家じゅうの窓をしめてまわって、ホッとしたところで、停電。それがすぐに復旧したと思ったら、ふたたび停電。
いやあ、あわてました。雷雨もまるで爆弾攻撃のようで、確実に気候がおかしくなっていると思いましたが、停電もこまりました。二回とも短い時間だったにもかかわらず、その後がたいへんだったのです。なにせ、いまの生活は、どこかの電力会社の宣伝じゃないけれど、ほとんど「オール電化」ですから。
まず、電話。使えなくなっていたので、いったん電源をぬいて、しばらくしてから入れ直すという、リセットを何度も試みたのだけれど、いっかな復旧しない。しばら~くして復旧してから電話してたずねると、電源を入れ直すと、まずうちの機器とNTTのあいだでやりとりがあって、それで通話・通信が確立するんだそうです。雷雨などがあった後は、みんながこの作業をするので、ビジー状態になっていたのだろうとのことでした。なるほど。わかってみれば、どうということはないのですがね。
電話以外にも、お風呂の湯沸かし器の電源が落ちていたり、古い形のエアコンが勝手についていたり(しかも暖房?)、思わぬところでいろんなことが起きていました。
一番恐ろしかったのは、パソコンをつけたまま窓を閉めに走ったため、そのまま停電に遭ってしまったこと。もちろん「不正な」終了です。たいした文書をつくっていなくて、よかったです、ホント。みなさん、雷が鳴ったら、何を忘れてもまずパソコンを終了しましょうね。去年も同じようなことを言ったような気がしますけど。
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2006年7月11日 (火)
祇園太鼓の季節
故郷の話をブログに書いたと思ったら、テレビで「小倉の祇園太鼓」が紹介されました。
中学高校のころは小倉に住んでいたので、学校行事にもかならず祇園太鼓が登場。太鼓の上手な男の子は、ふだんはどうであれ(笑)、そのときだけは文句なしにカッコよく見えたものです。そして、老成した感じの同級生が、摺り金をもったとたんに人が変わったように軽快に体を動かしはじめ、太鼓をリードするのを見たときの驚き。
祇園太鼓の音を聞くと背中がゾウゾクするのと同じように、私は佐賀の「荒踊り」を見ても血が騒ぎます。佐賀は父の郷里なのです。どちらも、音楽を聞いただけで、何もかもほうり出して、見に行きたくなる――そんな感じ。
ですから、子どもたちが笛吹きの笛の音につられて、ついていってしまうというハンメルンの笛吹の話は、私にはすごく納得できます。
いま、翻訳持込みのためのいろいろと原書を読んでいますが、どうも音楽がらみの作品となると、後先を考えずに注文してしまう傾向があるみたいです。その原点は、案外こんなところにあったのかもしれません。
今年の祇園祭は、今日7月14日(金)から16日(日)までだそうです。こちらに祇園太鼓のリンク集がありますので、興味のある方はごらんください。祇園太鼓界では、動画配信が流行ってるみたいで(笑)、打法なども動画で見られますよ。
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2006年6月 7日 (水)
産経児童出版文化賞・贈賞式
昨日、産経児童出版文化賞の贈賞式に行ってきました。
Sankei Web に記事が出ています。秋篠宮 紀子妃のスピーチをふくめた動画まで見られますよ。
http://www.sankei.co.jp/news/060606/bun084.htm
今回は、自分が賞をいただいたのもうれしかったですが、審査員の先生方や出版社の方たち、そして日本の児童書作家とお話できたのがうれしかったです。
そうした作家の作品を読んでみると、翻訳物とはまたちがう新鮮なおもしろさがありました。今回読んだのはファンタジーばかりでしたが、日本のファンタジーっていいですね!
私が知らなかっただけで、すでにご存じの方がたくさんいらっしゃると思いますが、このブログでも紹介させていただきたいと思います。
ちなみに、これは、授賞式のために生のバラでつくってもらったコサージュです。じつは会場に行ってみると、名前のついた大きな造花をつけることになっていて、なんだか間抜けな姿に。
それでも、意地をはって、二つつけつづけましたけどね(笑)。くやしいので、記念にここに。
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2006年1月23日 (月)
ダイヤモンドダスト?
今日は、めずらしいものを見ました。うちの近くでは、一昨日ふった雪が、かなり厚く屋根につもっています。そんななかで、昼ごろ表へ出たら、冷たいものがふってきたのです。
見あげると、ぬけるような青空。風が吹くたびにふり注ぐところを見ると、ふっているのは雪ではなく、どうやら屋根の雪がとけて飛ばされたもののようです。でも、雪どけ水というには冷たすぎる。冷たい、乾いた霧のようなものが、青空を背景にキラキラと舞って。もしかして、これってダイヤモンドダスト?
東京のまんなかで、ダイヤモンドダストが見られるのかどうか、私にはわかりませんが、そう呼びたくなるほどの美しい現象でした。
◇ ◇ ◇
子どものころ、宮沢賢治の作品のなかで、一番好きだったのが『水仙月の四日』でした。「雪婆んごは、遠くへ出かけておりました。ねこのような耳をもち、ぼやぼやした灰色の髪をした雪婆んごは……」という文章ではじまるこの物語は、いま考えると、でも、「死」を扱ったものだったのですね。それにしては、あまりに美しいファンタジーと、子どもの私には思えたのですが。
◇ ◇ ◇
先週、父方の叔父が亡くなりました。享年、89歳でした。脳外科の医者として一時代を築いた叔父は、兄である私の父とは対照的な性格だったようです。
子どものころは、兄弟でよく釣りに行ったりしたらしく、晩年の叔父から、そのときのことを何度か聞きました。釣れなくてもすわりつづける叔父に対して、せっかちな父は、ちょっと釣れないと、さおの先でぐちゃぐちゃと水をかきまわして、さっさとよそへ遊びに行ってしまったそうです。
そのエピソードどおり、叔父はじっくりと腰を落ちつけて89歳まで生き、父は53歳の若さで突然逝ってしまいました。
釣りのエピソードは、まわりの人には人格者と思われていた(らしい)父の茶目っ気を伝えていて、笑ってしまいますが、せっかちは釣りのときだけにしておいてくれればよかったのにと、いまさらながらに思います。
葬儀の間、叔父がおだやかに旅立っていったことになぐさめられると同時に、身内のだれかが若くして逝ってしまう場面だけは、二度とこないでほしいと願わずにはいられませんでした。
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2005年9月 5日 (月)
いくら嵐が好きでも
昨日は夕方から豪雨。あまりおそろしい音がするので、瓦でも割れるんじゃないかと思ったほど。雨で何かが壊れるなんて、いままで考えたこともありませんでした。雨ばかりじゃなくて、数年前から私が住んでいるあたりでは、夏になると日本とは思えない熱風が吹くように(そういえば昨年、今年と吹いてないけれど、また環境が変わったのでしょうか)。やっぱり、これは普通ではありませんよ。アメリカのハリケーンだってそう。地球環境は確実に変わっている気がします。昨日は、さすがの私も「嵐大好き」とは言えませんでした。
そのうえ、雷が鳴っているなかで、パソコンを操作していたら、突然、動作が重くなってとうとうフリーズ。ボタンで強制的に終了させましたが、今朝つかいはじめてみると、やっぱりおかしい。大あわてで、Windows CD の「回復コンソール」とやらで、ディスクチェックをしたけれど、あれってわざわざBios をいじってWindows を CDから起動するなんていう面倒な操作をしなくても、N…tonシステムチェックでもできたんですね。まったく、あわてると、ろくなことを考えつかないものです。
昨夜は、『最後の宝』の謝辞に出てきた歌の話を書こうと思って準備していたのですが、おかげでまた最初からやりなおしです。いやはや、「嵐が好き」なんて書いて、罰が当たったのかなあ……
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