2022年8月26日 (金)

中田耕治先生の追悼文と『片隅の人たち』

 恩師、中田耕治先生の追悼文を書いた。先生の公式サイト中の「追悼文庫」に収められている。翻訳者として活躍中の多くの仲間たちの文章も載っているので、のぞいてみていただけたらうれしい。
207020    この追悼文を書きながら、私は常盤新平さんの短篇集『片隅の人たち』をしきりに思い出していた。この自伝的短篇集には、実在した翻訳家や編集者をモデルにした人物がおおぜい出てくる。そのなかで「村山さん」という翻訳家は中田先生がモデル、というか、中田先生そのものだ。
 とくに、村山さんが主人公に褒め言葉とも皮肉ともとれる言葉をかけるあたり。主人公はこういうときはいつも皮肉ととることにしているものの、もしかしたら案外本気で言われたのかもしれないとも思っている。そして、そのあとの場面では、村山さんの師としての愛情をしみじみと感じるのだ。このあたりが、もうまさに中田先生!
 先生はそういう褒め言葉をよく弟子たちにかけられた。いま思うと、あの大げさすぎて皮肉としか思えない褒め言葉は、弟子ひとりひとりにあふれんばかりの愛情を持っていらした先生の、江戸っ子らしい照れのあらわれだったのかもしれない。
 常盤さんはほんとうは、真っ先に中田先生のことを語っていただきたい作家・翻訳家だったが、10年近く前に亡くなってしまわれた。それでも、こうして本を開けば、昔から変わらぬ中田先生のお姿がよみがえってくる。しかも小説の世界の中で。ちょっと不思議。そして、なんと贅沢なことか。

| | | コメント (0)

2011年5月14日 (土)

二つの公演のおしらせ

二つの公演のおしらせ

 今回は以前にご縁のあった方たちの公演を二つご紹介。
演奏会「アイルランドの風」
 アイルランドと日本で演奏活動を行っている守安功・雅子夫妻が、ホイッスルの名手ショーン・ライアンを迎えて贈るアイルランド音楽の演奏会。
 夫妻が演奏する楽器は――守安功:アイリッシュ・フルート、ホイッスル 守安雅子:アイリッシュ・ハープ、コンサーティーナ(六角形の小型アコーディオン)バゥロン(アイルランドの太鼓)。夫妻はアイルランド音楽のCDも出しており、その一部がこちらで参照できる。
Sean_color_w300  ショーン・ライアンが演奏するホイッスルという楽器は日本ではあまりなじみがないが、彼のCD、Minstrel's Fancy の紹介頁で視聴できる。コンサートのタイトルどおり、アイルランドの風が感じられるような、そして踊りのステップが見えてくるような演奏だ。ぜひ生で聞いてみたい。
日時:6月9日(木) 3PMからと7PMからの2回公演
場所:東京オペラシティ・近江楽堂
     新宿区西新宿3-20-2 東京オペラシティ3階
料金:3000円
予約・問い合わせ:オフィスP&B paddy@mvb.biglobe.ne.jp

テアトル・エコー公演『風と共に来たる』
 こちらは、私にとっては翻訳界の大先輩である酒井洋子さんが脚本を訳し、演出も手がけた作品。
 昨年の初演は大好評で、右肩上がりに観客が増え、すぐに再演が決まったという。初演の反響はこちら、出演者とストーリーはこちらで。
Photo_3  テアトル・エコーは、ご存じの方も多いと思うが、ニール・サイモン、ノエル・カワードなど現代の喜劇を数多く上演してきた劇団。オリジナル作品にも積極的で、井上ひさしが作品を書き下ろしたことでも知られる。上記ニール・サイモンの戯曲はすべて酒井さんの翻訳で、そのうちかなりの作品を彼女が演出している。団員は声優として活躍している人が多く、みなさんとても芸達者だ。
公演日:5月20日(金)~6月1日(水)
場所:恵比寿・エコー劇場
料金:一般は5000円 公演詳細

 震災後、キャンセルになった公演も多かったし、やたら外出する気になれなかった方も多いと思うが、しばしこうした音楽やお芝居でストレスフルな日常を忘れていただければうれしい。  

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月29日 (金)

片岡まみこ版画展「黒猫のいるところ」

片岡まみこ版画展「黒猫のいるところ」

Photo  本の挿し絵でご活躍の、片岡まみこさんの個展を見てきた。題して「黒猫のいるところ」
 片岡さんはコルク人形も作っておられるようだが、今回は版画展。しかも、猫、猫、猫――見ていてやさしい気持ちになれる版画ばかりだ。
 とくに好きだったのは「黒猫がいない日」という作品。いくつもの大輪のお花のど真ん中に、白猫の顔が描かれていて、その顔の表情がなんとも微妙(に見えたのは、猫のことがよくわかってないせいか)。わたしはどちらかというと犬派で猫は謎の動物なのだが、こういう猫たちを見た後、出会った本物の猫が、なぜかいつもより表情豊かに見えた(笑)。
 そして、ギャラリー・マァルもすてきな画廊だった。恵比寿の駅からすぐなのだけれど、とても駅前とは思えない靜かな小路にある。しかも、大きなあじさいの陰にかくれるようにして。雨に濡れたあじさいのあいだをすりぬけて中に入ると、ちがう時間の流れる場所にまぎれこんだような気さえする。
 会期は31日(日)までと残り少ないが、お近くにお住まいの方、猫がお好きな方、いえ、そうでない方も、ぜひ行ってみてください。
 なお、片岡さんが挿し絵を担当された一番新しい本『ぼくのネコにはウサギのしっぽ 』は、会場で買うことができる。
 これは朽木祥作の、猫と犬をめぐる物語3作品をおさめたもの。朽木さんといえば、動物を書かせたらおもしろいことまちがいなしの作家なので、わたしは迷わずゲット(笑)。

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年3月16日 (木)

上塗り!

上塗り!

「もしかしたら上塗りという修正法は、僕のとんでもない悪癖なのかもしれない」(ドキッ!)
「僕としては、あくまでも絵を『傑作』にしたいと粘っているつもりなのだけれど、ときには『もうこれで充分』という絵にもさらに上塗り修正を加えてだいなしにしてしまい、あとで後悔したりすることもある」(うん、あるある)
 いずれも
『ミヒャエル・ゾーヴァの世界』からの引用です。いやあ、人ごととは思えませんでした。
 文章の場合は、ファイルとして残しておくことができますので「だいなし」と言っても、元に戻すこともできるのですが、それにしても、われながら、ブログにまでいつまでも「上塗り」を加える必要はないと思うんですがねえ。と言いながら、またやっちゃいました。ゾーヴァじゃないけれど、これはもう悪癖以外のなにものでもありませんね。どこを変えたのは、精読してくださっている方のみぞ知る。そんな人、いるわけない(笑)?

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年3月13日 (月)

ミヒャエル・ゾーヴァの世界展、じつは

ミヒャエル・ゾーヴァの世界展、じつは

 2月はじめから書いているミヒャエル・ゾーヴァの世界展。じつは、『ちいさなちいさな王様』と『思いがけない贈り物』にコメントを寄せてくださった、やまねこ翻訳クラブのめいさんに紹介されて見に行ったものでした。やまねこのインタビューの際、半分冗談に「逆取材させてもらうかもしれませんからね」といっていたのですが、予告どおり、取材側のめいさんから逆に貴重な情報をいただいて帰ってきたというわけです。
 展覧会はわずか6日間で、私が行ったときはたくさんの入場者が原画に顔をくっつけるようにして見入っていました。たぶんみなさん、この展覧会を長年待ち望んでいたのでしょう。ゾーヴァ初心者の私はなんとなくけおされて、一枚一枚をゆっくり見ることができませんでした。でも、その分いま、本になった『ミヒャエル・ゾーヴァの世界』を見て楽しんでいます。
4062129043  この本には、さし絵以外のゾーヴァの絵もたくさんのっています。池にむかってブタが飛びこむ瞬間を描いた「ケーラーの豚」など、おもしろい絵ばかりで、見飽きることがありません。あたたかい感じの絵が多いいっぽうで、ベルリン子らしい諧謔味のある絵も。
 また、この本のなかでゾーヴァ自身が語っているのですが、ゾーヴァは、友人の発案でポストカード用の絵もかなり描いたようです。百町森というサイトでは、さし絵からおこしたものをふくめて
、さまざまなポストカードを買うことができます。上の店名のリンクはさし絵のページで、そこから、さし絵以外のカードのページにも行けます(『エスターハージー王子の冒険』に掲載したリンクは古くなっているようです)。ポストカードの右にある顔のマークをクリックすると、画像を大きくして見ることもできますよ。

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年2月20日 (月)

ポエトリー・アーカイブ

ポエトリー・アーカイブ

 大学時代の友人で、新聞の記者をやっているY.S.さんが紙面で「ポエトリー・アーカイブ」を紹介(毎日新聞記事)。簡単に言うと、詩人自身の声で朗読された詩を聞くことができるサイトです。
 ギンズバーグや、古いところではなんとテニソン(1892年没)の朗読もおさめられていますが、私がいそいそとこのサイトにアクセスしたのは、ブラウニングの朗読が聞けないだろうかと思って、でした。
 ロバート・ブラウニング、1889年没。『クリスマスの幽霊』のなかに、ウェストールが彼の詩、「彼らはいかにしてよきしらせをゲントからエックスにもたらしたか」に言及した部分があって、注をつけるのに苦労したからです。
 この詩は、
ベルギーのゲントを発った三人の使者が、つぎつぎに馬を乗りつぶしながら、南仏のエックスにたどりつき、よきしらせをもたらす、という内容です。訳注では、「よきしらせ」というのが何のしらせなのかを書きたかったのですが、いくら調べても出てこない。当然、詩そのものもなんども読みましたが、やっぱり書いてない。
 困っていたところ、ネット上に、同じ疑問をもって調べた人の文章が出ていました。その人は、いろいろと文献を調べた結果、「ブラウニングが書きたかったのは、馬が駆けるリズムそのもの。史実を伝えようという意図はない」とわかったというのです。つまり「よきしらせ」は、このリズムを出すための方便、なんでもいい、というわけです。そ、そんなあ!
 でも、詩って、そういうものかもしれませんね。妙に納得したのでしたが、アーサー・シモンズという人が書いた『ブラウニング詩作品研究への手引き(松浦美智子訳)』によると、「よきしらせ」は暗に「ゲントの講和のそれを意図」しているとのこと。詩が書かれた年代から推測すると、1814年、"第2次英米戦争"を終結させた「ガン(ゲントの別読み)条約」のことみたいです。
 へええ、"第2次英米戦争"なんてものがあったんですね。またまた、
(こんどは自分の無知に対して)びっくり! ヨーロッパでナポレオンに対する戦争がつづいているあいだに、海上貿易と先住民族追い出しにからんで、アメリカがイギリスに対して起こした戦争だそうです。
 そして、この本の著者は書いています。「私が思うに、この最も感動させるバラードを、息もつかせぬ感情を持って読んだことのない少年は、ほとんどいないだろう。」これはとてもよくわかりました。馬の駆けるスピード感、つぎつぎに馬と使者が力尽きてゆく緊迫感、そしてヒロイズム。いつか、この詩の朗読を聞けたら。そのとき、私はそう思ったのでした。
 それが、詩人本人の声で聞けるなんて! そう、たしかに聞けました。ところが……またまた、詩人の肩すかしをくうことになったのですが、それを書いてしまうのも無粋な話なので、
どうぞご自分で「ポエトリー・アーカイブ」をのぞいてみてくださいませ。ブラウニングの朗読は、右の方にある索引の「B」をクリックすると出てきます。どうやら、インターネット・エクスプローラでないと音が出ないみたいですが。(←これは私の勘ちがいみたいです。FireFoxをご使用の方はコメントのやりとりをご覧ください。)
 The Children's Archive も、とてもいいです!

| | | コメント (4) | トラックバック (0)