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2021年5月 6日 (木)

文芸翻訳に対する考え方が変わったかも

丸い地球のどこかの曲がり角で』は短篇集だが、このところ長篇ばかり訳してきたこともあって、翻訳にあたっては戸惑うことが多かった。
まず、物語の結末がはっきり書かれておらず、どう終わったと考えるか読者の判断にゆだねられていることが悩みの種だった。どうせなら盛り上げて終わらせたいと思ったり、もっとわかりやすくしたいという気持ちから、ついつい加筆してしまった部分を、推敲で削るのに、どれだけエネルギーを使ったことか。
また、この短篇集には、著者によく似た女性が主人公というエッセイ風の作品も多かったが、本のことしか考えていない主人公を優しく見守る夫という設定が、あまりにも著者の家族を思わせて、気恥ずかしかったのもある(私が恥ずかしがる必要はまったくないのだが-笑い-)。著者は、大学時代に未来の夫君に電撃的に出会ったことを何度も語っていて、それを知っていながら作品を引き締めるのはっこうたいへんだった。
だが、本が出て、みなさんの感想を読むと、色々心配したことが杞憂だったことがわかってほっとしている。
エッセイ風の作品の主人公に共感なさる読者も、いちばん訳しにくかった最後の作品を「おもしろい紀行記のように読める」と言ってくださる読者も、意外に多かった。
よけいな加筆を歯をくいしばって削除し、読者ができるだけ自由に解釈できるような訳にしようと心がけたことで、文芸翻訳に対する考え方も変わったように思う。
いままでは、翻訳を音楽になぞらえて、原作者は元になる譜面を書く作曲家のようなもの、翻訳家はそれを人前で演奏する奏者や歌手のようなものだと思っていた。つまり翻訳家はよく言われるような「黒子」などではなく、音楽や舞台の世界でのソリストのようなものと思っていたのだ。
だが、今回この短篇集を訳してみて思った。翻訳者は原作者と読者の間をつなぐ橋渡し役に過ぎないのではないか、そういう意味ではかぎりなく黒子に近いのではないか、と。
いやあ、文芸翻訳の世界はどこまで行っても極めることなどできないくらい、奥が深い。

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相反する要素のせめぎあいから生まれた短篇集

Amazon左の画像は『丸い地球のどこかの曲がり角で』の帯付きの書影だ。
帯に掲載されたニューヨーク・タイムズの書評は「この難しい時代に生きる我々に元気を取り戻させてくれる本」と書き、ニューヨーカーは「最悪のことはまたたく間に身近に迫ってくる」と書いている。
いったいどっちなんだ、読むと元気が出るのか、それとも不安になるのか、はっきりしてほしい、と思われた方もいらっしゃるかもしれない。だが、この本の印象としてはどちらもそのとおりなのだ。
たしかに不穏な空気に満ちた本だが、現代を生きる私たちの不安に寄り添うという意味で元気を与えてくれる本でもある。むしろ、こうした相反する要素の集合体が本書なのではないかと思う。
作者自身が刊行当時、多くのメディアに語っている。「自分はフロリダにやってきて十数年になるが、この土地に対してはいまだに愛憎半ばする思いを持っている、この相反するふたつの感情のせめぎあいこそが、これらの作品群を生み出す原動力となった」のだと。※引用は『丸い地球のどこかの曲がり角で』訳者あとがきより。
ひとつひとつの作品の中でも相反する要素が拮抗していることが多い。たとえば「ハリケーンの目」はカラッと明るい幽霊譚だが、かなりせつない物語でもある。「イポール」の中では、主人公の(そして作者の)モーパッサンへの愛憎が拮抗している。
いくつもの相反する要素がぎゅっと詰まった物語の数々。読者のみなさんにはそれを楽しんでいただけたらと思う。

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装画はヒグチユウコさん

Img_5141trmg_20210506004001丸い地球のどこかの曲がり角で』のカバー装画はヒグチユウコさん、装丁は名久井直子さんだ。
ヒグチさんの不穏な感じの絵は、本の中身にとてもよく合っているし、見方によっては、独特のユーモアさえ感じさせる。とくにあのワニが!
本を買ってくださった方にぜひやっていただきたいのが、カバーをはずして広げてみること。PC上の書影や本の前面を見ているだけではわからないが、紙いっぱいにワニの全身が描かれているのだ。長々と横たえられた尻尾のなんと豊かなこと。
本のカバーという超横長な紙の上ならではの表現だ。
ヒグチユウコさんの絵は、銀座に開店したばかりの〈グッチ 並木〉の壁面が話題になっている。動画(WWDJAPANのTwitterより)を見るとよくわかるが、ビルの壁という並はずれて縦長な平面に描かれた絵は圧巻だ。
それに比べると本のカバーは小さいが、この小さな紙の上にヒグチさんの世界が息づいていると思うとうれしい。
カバーの下の表紙もしゃれている。こんなおしゃれな装丁で世に出してもらい、つくづく幸福な本だと思う。広げたカバーと表紙を写真に撮ってみたが、小さな写真ではその迫力はなかなか伝わらないので、ぜひ現物を手に取ってみていただきたい。

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