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2009年1月26日 (月)

『子どもの本とは何か』

『子どもの本とは何か』

 知人が『子どもの本とは何か』という本があるのを教えてくれた。
 アーシュラ・K・ル=グウィン『ゲド戦記 』の翻訳で知られる清水眞砂子さんが、かわさき市民アカデミーで行なった講義とインタビューをまとめたもので、本というより、パンフレットに近いものだが、ウェブ書店などで買うこともできる。
 その中で、翻訳という作業について、清水さんがおもしろいことをいっていらっしゃるので、紹介しておきたい。
 清水さんがある声楽家に、歌曲を歌うとき、どう歌いこなすのか、どうやってコンサートまでもっていくのかをたずねたところ、声楽家は、まず歌われている内容をこまかいところまで思い描く努力を重ねる、と答えたという。いろいろとやってみているうちに、心の中に描き出された情景のピントがぴたっと合うときがきて、そこではじめて、ちゃんと歌えるようになる、と。
 この過程が翻訳とそっくりだと感じた清水さんが、そういうと、声楽家はこともなげに「そりゃあなた、両方とも再生芸術ですもの」といったというのだ。
 そう、翻訳は歌と同じように「再生芸術」だ。翻訳する作品には当然、原書があるが、日本の一般の読者の目にふれることはほとんどない。それをいかにして読者にわかる形で表に出すか、それが翻訳という仕事なのだ。
 私自身は以前、舞踊の関係の仕事をしていたこともあって、原作者は振り付け師で、翻訳家は踊り手のようなものだと考えている。振り付け師(原作者)の方がずっと創造性の高い仕事をしていることは、もちろんだ。でも、実際に観客(読者)に見えるのは、踊り手(翻訳家)が舞台で踊ってみせる、その動きだけなのだ。
 じつは私も勉強中は、翻訳というものを裏方的な仕事だと思っていた。ところが、仕事をはじめるやいなや、そうではないと気づいて愕然とした。原作者を陰で支える仕事に徹するつもりだったのに、蓋をあけてみたら、なんとも恐ろしいことに、自分が一番人目にさらされる場所に立っていたというわけだ。
 いまでも、恐ろしいということに変わりはないが、舞台に立つからには、観客の心に届く舞いを舞いつづけたいと考えている。今回、舞踊家だけでなく、歌手をはじめとする「再生芸術」の芸術家たちがみな、同じような営みをしていると知り、たいへん心強く感じた。なにしろ、私たちは舞台の上に立ったら、それぞれ一人ぼっち、なのだから。

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コメント

TBありがとうございました。

「子どもの本とは何か」は、出た当時に読んでいたのですが、ポストされた記事を読み、また目を通してみました。

読みどころいっぱいのブックレットですよね。かわさき市民アカデミーというのはすばらしいなと思いました。

翻訳は「再生芸術」。文芸は文章の芸術ですから、文芸翻訳もしかり。とてつもない仕事だと思っています。

投稿: さかな | 2009年1月30日 (金) 19時09分

> 読みどころいっぱいのブックレットですよね。かわさき市民アカデミーというのはすばらしいなと思いました。

ほんとに。
私はあのブックレットがあることも知らず、友人に教えてもらって、はじめて手にしたのですが。
やっぱり、何かをまとめたら、ちゃんと流通にのせておくべきなんですね。
そうすれば、私みたいに遅ればせながらも、読んでくれる読者がいるのですから。

投稿: t-mitsuno | 2009年1月31日 (土) 10時27分

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